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もの凄い感動的な話だと言われている作品を読んでも、 泣かないとオカシイなんて評論のある映画を見ても、 まったく泣けなかった私だが、 泣いた。 小説を読んでいて泣いたのは初めてだった。 #
by bombdog
| 2006-09-24 15:36
| 本
>そーがさん コメント欄には入りきらなかったのでここで 何に絶望しているかって結局は頑張ったことが実を結ばない社会に絶望しているわけですね。 もし、私が感嘆されるほどのがんばりを見せてそれが結果に結びついたらそりゃあなにも言うことは無いでしょうね。でもまったく結びつかなかったら? 運が悪かったの一言で諦め切れるのか? って話です。 「努力してから物を言え」 至極まっとうな意見です。 さて、そこで努力ってなんなんでしょうか? 数値化できるものでもないし、絶対化できるものでもない。 あれだけ頑張ったのに……と悔やんでもそれはお前の努力がたりなかったんだ と言われるかもしれません。 個人個人の能力によって、努力の度合いも違ってくるでしょう。 水が大嫌いで初めは顔でさえ付けられなかった人がもの凄い努力して25メートル泳ぎきれるようになるのと、初めから泳ぐのに何の苦も無い人間が25メートル泳ぎきる時間を努力して1秒縮める。 これはどっちが頑張ったと、努力したと言えるのでしょうかね。 タイムだけで言えば断然後者のほうが速いでしょう。でも第三者はタイムだけを見るんです。 こういった社会に絶望してるだけですよ。 勉強が得意な子もいれば不得意なこもいる。勉強はやった分だけ等しく頭が良くなるだなんて幻想です。 1を聴いて全てを理解するひともいれば、10を聞いても分からない人もいるのです。 それなのに学力と言うただ一面からその後のすべてを決めてしまうのはいかがなものか。 僕は確かに努力していないでしょう。だから今まで述べてきたことはまったくもって説得力がありませんw 逆に努力して、しかし実を結ばなかった場合、めちゃくちゃ文句言うでしょうね。運が無かったの一言で納得できるとは思いません。だったらなんの痛手も受けない今のうちに言っておこうとそういうわけです。 社会は矛盾していて、腐ってる。むかつくなぁと思っていながらも、私自身その矛盾している、腐ってる社会の一部なんです。私は聖人でもなんでもありません。ごくありきたりな特別でもなんでもない1億3000万のうちのひとり。できた人間じゃありません。 だから文句のひとつも言いたくなるわけですよ。 #
by bombdog
| 2006-09-18 21:29
| 戯言
「お前は自分の未来に希望がないのか」と問われれば別にそういうわけでもない。まだまだ見たい未来もあるし、かなえたい夢もある。が、少しベクトルが異なれば希望があるとは言えない。 高い給料がもらえて楽な仕事に就職できるのが人生の成功で、その目標を達成するためにはより良い大学へ行き、社会的地位の高い企業に就職するなり自分で企業を起こすべきなのだろう。 しかし、だ。情報が氾濫している現代では、一流大学に入ったのにもかかわらず、言葉が適切であるかは分からないが社会の底辺を味わっている人間もいれば、まるっきり逆の人生を送ってきた人間もいることが分かってしまう。それも一人や二人の話ではない。世の中に溢れかえっているのだ。つまり学歴なんて自分の乗った飛行機が墜落するよりも高い確率であてにならない、と言い切っても過言ではないだろう。そうなるってくると、必死に勉強してなんになる、と思えてしまうではないか。 何十兆円という負債を抱えている国家なんてまったく当てにならない――まあ期待なんて持ったこともないしこれからもしないが――し、年金制度が今のまま続いていくともとうてい思えない。せっせと働いて国に献上したお金が私たちのために使われず、ノーブレス・オブリージュなんて考え方は闇の彼方に飛ばした政治家達が自分達のために湯水のごとく使っているご時世だ。日本の国民が国を誇りに思わないと答えるのも不思議なことではないと思う。そして働く意欲が低下してきていることも全然納得できないことではない。 「好きな仕事につけている人なんて滅多におらんよ」とよく言う。さも自分がそうだ、という風に大人はいう。そんなことは当たり前だ。仕事なんて面白いものではないと思っている。僕の境遇で置き換えれば勉強する、ということに当てはまるのかもしれない。 趣味が転じて仕事になったというのもあるだろう。たとえば好きで書いていた小説が何かのきっかけで世の中に知れ渡り、大変な賞賛を受け、小説家になってしまったという感じだ。しかしそれは果たして好きでい続けることができるのだろうか。僕には無理だと思う。ただの重荷にしかならない。趣味、というのは自由度が高いから趣味でやっていられるのだと思う。 好きな仕事につければいいな、だなんて誰が言い出したのだろうか。自分のなりたい職業が、自分の理想どおりだなんて決まっているはずがない。むしろ理想と現実のギャップで悩む人も多い。理想とした職業に付くことが幸せだなんて幻想もいいところではないだろうか。 そう考えると仕事なんて何でもいいような気がする。各人に向き不向きな仕事はあるが、生理的に絶対に不可能だとか、だれがどうみてもそれはお前には不向きだ、といった類の仕事以外であればなんでもいいのではないだろうか。 問題は、なんでもいいから仕事に就きたいといったところで、はいそうですかと仕事ができるような時代ではないと言うことだ。必死に勉強して大学を卒業して、それでやっと就職できる。だから勉強をしなくてはならない。これはしたくもない仕事をするための、できるようになるための予行期間だろう。慣れればなんでもできるのが人間である。 そういえば勉強する意味を本気で考えていた時期もあった。今思えば馬鹿だなと思う。 意味なんてものは人間が後付したものであって、世の中には意味なんてわからないことが山ほどある。だから勉強に意味がなくてもなんら悪いことは無い。不思議なことはない。僕が探していたのは、自分の感情を納得させるための論理だったのだ。 大切なのはその意味のないかもしれない勉強を、どう活かしていくか である。そこを考えていかないといけないのだろう。 今の僕の境遇は19世紀の労働階級のようだな、と思う。 なにせ親に依存していないと生きていくことすら出来ないのだから。いや、少し違うな。もし家を飛び出してどんな身振りをしてでも生きていくという覚悟があるのならば依存していなくても生きていけるのだから。でも現実はそんなことする度胸も無く、親が稼いだお金で僕が生きていくために必要なものを買ってもらっている。ここには越えられない壁がある。 「ああしなさい、こうしなさい」という親の命令には基本的には従わなくてはならないのだ。逆らうと血縁を切られて放り出されるかもしれない。一人で生きていけといわれるかもしれない。といったリスクが付きまとう。皮肉な話だ。いつもは従っているのほうが楽だといっている僕が従うことを苦痛に感じているのだから。 これはしかし僕にも責任がある。もといほとんどが僕自身の責任だ。優秀な成績を修めて健全な青年でいれば、とやかくも言われないのだろう。また一人で生きていけるだけの能力があれば何も問題は無い。 だからこれは努力をしていない言い訳にすぎない。 「君には何か恋愛に発展しそうな話はないのかい?」と聞かれることがあるが、はっきり言って恋はしたくない。昔はそうでもなかったと思うが、いまは違う。もっと話を進めれば、結婚もしたくない。口では彼女のいないことが寂しい、なんて言ってる僕だが本心ではないと思う。思う、としているのは自分のことは案外わからないものだし、明日には考えが変わっているかもしれないから。 何が欲しい、と言われたら別に面白くなくていいから安定した職につきたいというだろう。高望みはしない。高収入なんて別にどうでもいい。最低限の生活ができて、本が買えて、それでもまだお金が余るのであれば貯金できる程度の収入で十分だ。。これは未来の希望。 そう考えると、勉強しようという意欲が出てくる。というか出てきた。いっちょやってみるか。 脈略もへったくれもない話を広げるだけ広げたが、回収する気もない。ただ考えたことを書き留めただけだ。だから読まれてしまった方は申し訳ない。 #
by bombdog
| 2006-09-17 18:36
| 戯言
5年まえの僕と、今の僕はまったくの別人なのか。 別人だと言われれば別人のような気もするし、そうでない気もする。 例えば細胞単位で言っても、5年前の細胞はこの身体には何一つ残っていない。考え方をとってもまったくとは言わないが、違うところも多々あるだろう。 5年と言う歳月の間に出会った人間と、境遇と、経験とがそうさせたのは確実だ。 だけど周りの環境、他人の記憶にある私、5年前以前から存在する私の私的財産(僕の記憶も含める)などからは お前は5年前と同じ人間だ と言われているようなものだ。 ただ、5年前の僕がいなければ今の僕もいないということは絶対ではあるが。 「完璧な涙」を読んで色々なことを考えさせられた。 過去と未来の関係。現在と言う非常に不確かなものの定義。感情はどこから生まれるのか。完璧とは何か。 柄にも無くセンチな気分になっているのだけれども、たまにはこんな時間を過ごすのも一興ではあると思う。 たまには、ね。 #
by bombdog
| 2006-09-17 00:17
| 戯言
ハートフルな小説が読みたい、と友人からの申し出に、 悪童日記を薦める私って素晴らしい。 なんでもないです。 今日も僕の友人が「対戦車ライフルを買う」と言っていました。 「何円ぐらいするの?」と聞き返した私に 「80万ぐらい」 って実銃かよ! サバゲーしようしようと誘ってくる友人N。 そんなあなたが大好きです。 先日MDプレイヤーのリモコンが壊れてまいっちゃってます。なんせ制服の胸ポケットにすっぽりと収まってくれなくなったんですから。 さらに開閉スイッチと止め具もぶっ壊れやがったのでゴムバンドで止めている始末。そろそろMP3プレイヤーに乗り換えようかなとも思いましたが、このPC周辺に散乱しているMDの数々を考えるとやっぱりまだMDのほうがいいのかな~なんて考えてしまってうかつに身動きが取れない状況です。 せめてネットワークウォークマンの2GBぐらいが1万円で売り出してくれる日がやってきたら迷わずこの右腕がうなりを挙げてゴッドフィンガァァアアアアア、じゃなくてがっちりと掴んでレジに持っていくんですけどね。 後輩からメールが届いたんです。昨日。 「先輩! 打ち上げってあるんですか?」 ってそんなこと知らねぇええ! 仕方ないので 「え~と、やりたいの? 皆はどう言ってる?」 と返したら 「やりたいし、皆やりたいっていってます!」 なかなか意気込んだメールが返って来たじゃありませんか。ここはひとつ敬意を払って 「あー、実はぼくも やりたくない と思ってたんだ~笑 ほら、今月財布がピンチだし?」 幹部ポジションに居た私が一切のやる気を垣間見せません。 よくこんな私について来てたなぁ、後輩諸君よ。 とまあそれは置いといて、みんな元気一杯だな。 私には静かに本を読むぐらいの体力しか残っていませんよ。というか本を読ませてくれww しかしこれだけの描写だと、私完璧にヒールですね。まあいいですけども。これだけしかないんですからw さて、レビューでも書くかな。 #
by bombdog
| 2006-09-12 19:44
| 戯言
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